玄田ボイス

MoneyConnection® ニート予防のための金銭基礎教育プログラム アドバイザリーボード/リーダー 玄田有史氏(東京大学社会科学研究所教授)

  • Vol.1/2006年
  • Vol.2/2009年

私たちが誰かと交流するために使うのは、なんといっても「言葉」だ。「おはよう」、「はじめまして」から「ありがとう」「さようなら」「またね」、謝るときには「ごめんなさい」「すみません」、場合によっては精一杯の愛情を言葉にして伝えようとすることだってある。挨拶くらいならできるかもしれないが(ニートにはそれすら難しいこともある)、自分の思いを言葉で相手に正確に届けるのは、むずかしい。どこかで聞いたのだけれど、どんな話でも、誰もが正確に理解できるのは、せいぜい2割くらいのものなのそうだ。それだけ言葉による交流は誰にもカンタンじゃない。

ボクたちは、言葉以外にも相手に自分の思いや希望を伝える大切な道具を持っている。それがおカネ、つまりは「マネー」だ。お腹がすいて何かを食べたいとき、ボクたちはその思いを伝えるために、いくらかのおカネを持ってコンビニやレストランに向かう。自分の欲しい商品を持っている人や店にそのおカネを届けることで、欲しいという思いを実らすことができる。

あまりに当たり前のことすぎて、よく考えることもないのだけれど、小さな一枚の紙きれや金属のかけらにすぎないおカネは、自分の思いを伝え実現する不思議なパワーを秘めている。

人と人が交わる道具である言葉とおカネには、他にもすごく似ているところがある。大人から子どもまで、誰もが毎日使って生活している言葉だが、大人のほうがだいたいモノをよく知っていて、経験も積んでいるだけ豊富なことも多い。何かを伝えたいと思うとき、いろんな言葉を知っているぶん、大人は有利だ。子どもは何かを伝えたくても、それをうまく言葉に乗せることができなくて、イライラしてしまったり、イヤになってしまうこともある。

おカネも、たくさん持っている人と、そうでない人がいる。何かが欲しくて、その思いをおカネの交換によって伝えたいとき、たくさん持っている人のほうが、その思いをかなえやすい。いろいろな理由で、おカネがあまりない人は、何かを欲しいと思っても、それをかなえる道具が足りないために、ガマンをしなければならないことだってある。それが現実だ。

たしかに言葉やおカネをたくさん持っている人のほうが、自分の願いを叶(かな)えやすいというのは、事実かもしれない。でも、じゃあたくさんあれば、それだけで幸せになれるかというと、それはちょっと違う。
外国を旅したりするとき、その国の言葉を話せたりすれば、どんなにラクだろう。でもうまく話せないからといって、その異国の生活がぜんぜんつまらないということはない。むしろ、言葉が伝わらなくても、身ぶり手ぶりを交えながらできるだけ率直に自分の思いを伝えれば、道は開けたりする。知ったかぶりでペラペラ話しをするよりは、トツトツと真剣に話すほうが、かえって誠実さが伝わり本当の友だちができたりする。恋人だってできるかもしれない。

おカネだって同じなんじゃないか。世の中には、おカネがどんなにたくさんあっても幸せでない人がいる。反対におカネなんか、そんなになくたって、幸せに生活している人もたくさんいる。つまりは、その限られた道具であるマネーを自分なりに、どう工夫して大事に使うか、そしてときには使わないと決めるかということ、じゃないだろうか。

どんなに言葉が得意な人でも完璧に使いこなせる人はいない。勉強が得意で物知りな人でも、言い方をまちがえると、人を傷つけたり、自分だって傷ついたりする。マネーも同じだ。おカネは、自分の望みを伝えてくれるときもあるけれど、本当の使い方を知らないと、せっかくたくさん持っていても悲しい思いをしたりする。反対に使い方をよく知れば、わずかな手もとのおカネがびっくりするくらい、自分の希望を叶えてくれたりする。
おカネとうまくつきあえれば、しんどそうな人生というやつも、案外、大丈夫だと思えてくるものなんだ。

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